再スタート

1日1本を目安に書いていこうと目標を立てて始めたブログだけど、最初の月、2022年12月の1ヶ月しか続かなかった 。年明けてしばらくは続いていた。その後モンハンワールドにはまって、また、同時に仕事が入って、全部終わっても文章を書く気になれず、他にやることあるだろうと、放置していた。忘れていたわけでもなく、4月になったら始めようと考えていた。早いもので、あっという間に4月になってしまった。もうこれ以上先延ばしにするくらいなら、きっぱりとやめてしまったほうがいいくらいだ。そこで、重い腰を上げて書き始めることにした。

 1月〜3月の間、全く文章を書かなかったわけではない。本の感想を投稿するサイトがあって、そこで、なかなか長文の感想を投稿していたりしていた。長けりゃいいってもんでもないが、よくわからん文書をでっち上げるスキルはちょっと上がってきた。そんなスキル必要ない気もするが、何も書けないより、何かしら感じたことを吐き出すのには便利だ。後で見返したとき、真っ白であるよりも、こんなんだったっけ、と記憶を呼び覚ましてくれる効果は高い。直近で読み終えて投稿した感想だと、コードコンプリートの下巻だ。この本は情報量が多く、密度も高いので、何も記録を残さずに読んだらおそらく数日後にはすっかり忘れ去っていることだろう。どちらにせよ、1回読んだだけで身につくような内容ではなく、年に1回位、ざっと読み直すくらいの気持ちでいたほうがいいかもしれない。そういえば、この本は今年の読書計画で、今年中に読み終える本の1冊に入っていた。今の所12冊中2冊クリアになった。ブログをサボっていたせいか、何もしてなかったような感じがしていたのだけど、まずまずの成果ではなかろうか。順調だったら3/12になっているはずだが、1冊くらいなら取り返せるだろう。計画の見直しはまだ必要なさそうだ。

再スタートと言ってもブログを書くこと自体が本分ではなく、これは1日の成果を記録するたのめもので、後で読み返して、この時期はこんなことをしていたのか、と思い出すためだけにある。記録と言っても、日記のようなものではない。なんでもいいから文章に吐き出すことで、そのときの状態を振り返る。出てきたものにはあまり価値がなく、文章をかく作業の方が意味がある。考えていたことを素早く形にするスキルを身につける訓練になるからだ。以前、似たようなことを書いた気がするので、これ以上は書かないでおくことにしよう。この2〜3ヶ月サボっていたのだけど、その間も、「あ、これブログに残しておきたい」というような風に思うことは結構あった。だけど、1回間が空いてしまうと、なかなか筆、というかキーボードだけど、を取る気になれなかった。やはり生活サイクルに組み込んでしまうのが重要だ。大体3000文字で1時間といったところになる。この負荷が結構高い気がする。めんどうくさいな、と思ってしまう。そういう感情がわかないように、もう機械のように決まった時間に自動で書き始めるくらいにしないとだめだ。別に3000文字も書かないといけないというわけでもないが、あまりに少ないと、負荷がかるすぎると、ちゃんと考えていたように思えないし、すべてを吐き出すトレーニングにもならない気がするので、妥当なところではないかと思う。

今後、ちょっと方針を変えたいなという気がしてなくもない。今、YouTubeに動画をアップしていたりするのだけど、全く再生されない。最近のだと、CrystalでPongを1時間で作った、というのをアップして、そこそこ興味深そうなものに思えるのだが、再生回数0という素晴らしい結果になっている。再生回数を稼ぎたいというような欲はあまりなく、適当に作った動画をなんとなくアップしているだけのつもりだった。それでも、以前は10回程度のアクセスがあったのだが、最近アップしたのはまったくの0、あるいは2、3となっている。このブログも似たようなものだろう。さすがにちょっとむなしいな、と思うようになってきた。中身がどうこう以前に、0というのは誰の目にも止まっていないことになる。 Pongできたので、今度はテトリスをやろうと考えているのだが、Crystalでやっても需要はないだろうから、需要の高そうなPythonでやったらどのくらい再生されるのか、実験をしてみたいと思っていた。しかし、おそらく似たような結果になるのではないかという気がしている。同じようなコンセプトの動画を見ると、かなりの再生回数を稼いでいて、目に止まりやすいのかと思っていたのだが、なにか別の要因が有るのではないかと勘ぐっている。

はじめは、1時間で作るということになにか意味があるのか、ゴミみたいなコードを1時間で書くより、3時間かけてきっちり作る方がいいのではないか、そもそも、1発で1時間で完成させることなど不可能で、念入りに準備をして、その記憶をもとに再生するだけの作業になってしまうが、本当にそんなのでいいのか、などとかなり否定的に見ていた。しかし、実際やってみると、なかなか興味深い結果が得られた。ひとつは、1時間というのは本当にきつきつなので、無意識にコードを書けるくらいコードを把握していないといけないということだ。暗記することなど不可能ではないにしても、非効率なので、プログラムの設計と意味を完全に理解しておいて、それをヒントに書いていくという作業になる。もちろん、少なくとも一度は完成させておかないと、いくら設計ができていたとしても、細かなコードをその場で考えていたのでは間に合わないだろう。暗記までいかなくとも、こんな風に書くというのを、ほぼ完全に、覚えるというか、身体に叩き込んでおかないと無理だ。これは、予め用意しておいたプログラムを自分でほぼ完全に把握していないとできないことで、無意味ではないかもしれないと思い始めた。もう一つは、エラーなく正確にコーディングするスキルが必要になることだ。何もプレッシャーがない(かつTDDを採用しない)状態でコーディングをしていると、とりあえず書く、ビルドする、エラーなら直す、というステップを踏むことに躊躇はない。しかし、きつきつの時間だと、ちょっと書きたすたびに、いちいちエラーを出して直していたのではとても間に合わない。なので、ある程度まとまってかきあげて、かつ、それを1発でビルドを通すくらいの心構えが必要になる。しかし、こんなスキルが必要になるのかどうかは疑問ではある。最近、TDDを身につけるためにできることはないか模索しているのだけど、一気に書いて運が良ければビルドが通るなんてのは、まったくそぐわない。今、書きながら思った、否定的な一面だ。

ともかく、YouTubeで再生されない問題がある。方針を変えたいというのは、ブログとと連動できないかということだ。しかし、このブログも相当誰の目にも止まっていないだろうからあまり効果は期待できなさそうだ。そもそも、現代においてブログというものは有効なツールなのかという疑問もまだ捨てきれない。結局のところ、何も期待しないというのが正しいような気がする。

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