特に目的のないコンビニ人間のメモ
※この文章は、決して何か提案したり示唆しようとしているわけではないです。ヒントでもないです。
正直、この作品は理解しようとしてもあまりいいことがないように思う。 理解できたからと言って何か特別な理解力あるとかを意味したりするものでもないと思う。 (文学の教養と技能を保持している・しようとしている人(≒専門家)にはまったく別の話)
人聞きで答えは出ないし、インターネット上を探してもたぶん答えは出ない。 人に言われて理解できるものでもなく、作品自体がそういうふうになっている。
基本的なこと
この作品は二重の読者層を想定して巧妙に設計されている。
最初に読んだ時点でどちらの層に入るかはほぼ確定する。 その後いくら丁寧に読み込んでもそこから別の層へ移動するのは、何らかの別のきっかけがないと、難しいかもしれない。 作品中には何も書かれていない。
どちらの層に入るかの分かれ目 (一つの例)
- ① 主人公など作品中の要素に対して何らかの感想、例えば普通じゃないとか可哀想とか共感できるとか、を持つ場合
- ② そういう感想をまったく持たない場合
①は想定された表層的な読者。こちらがたぶん多数の層。
②は想定された深層的な読者。なぜそう読めるのかはすでに分かっているかその場で解釈が可能なことで(そうでなければこちらに来ない)、作品中では何も説明されてないけど、普通に納得して終われる。
①になるか②になるかは理解力とかの差ではなくて、世界をどう捉えているかの違いだけで、そこに優劣はない。 (繰り返し:文学の教養と技能を保持している・しようとしている人(≒専門家)にはまったく別の話)
ちょっとだけ踏み込んだところ(闇に入り込む可能性)
②なのに納得して終われない場合。 違和感がなさすぎることが、逆に違和感になる場合がある。 これも想定されて設計されているようにみられる。
この場合、そもそもこの本は誰のために書かれたものなのか、なんでこのような二重の構造になっているのかに目が向く可能性が高い。 そうすると、作品に対する違和感ではなく、現実で観測できるこの作品への反応に対する違和感が強く残る可能性がある。